海にて 

家から海へ歩いていくとき、江ノ電の鵠沼鉄橋で境川の水面を見ることになる。
海から上がっている波を予想するような小波が上流に向かっていたら期待ができる。

小田急(江ノ電ではない)の歩行者専用踏み切りを渡り、魚屋さんの脇を通れば、
中部駐車場の前にでる。30分歩くのでもう体は温まっている。おかげで冬でも足はつらない。

波の大きさ、速さ、すでに海に出ている人たちの疲れ具合、板を走らせている方向を見ながら
入っていきやすいところを探す。

海に入ったら頭を海水につける。あごが水を感じると、脈拍が下がる。呼吸の回数も減る。
息継ぎなして10ストローク以上パドリングができるようになったら、準備ができたしるしだ。

やがて、位置につく、そしてテイクオフ、
板のスピード、進む方向を自分の制御下へ。なるべく波のトップを維持する。
高さがあれば、急な障害も回避できる。ボードの接水面積をできる限り少なくして、
動きが敏感になるようににする。
制御をかけていると板がしなるので負担がかからないよう、力はなるべく
分散するようにする。


いけそうだったら、すこしづづ位置をアウトに移動し、ロングのラインの奥にでる。
セットで3つぐらい波が入り、最後のほうの波が大きいときはロングのラインかその奥から
テイクオフの機会がある。



七里ガ浜、1980年代なかばのこと 

2001年5月になったので書いてもいいかな

5月になると思い出すのは...

それは連休過ぎの土曜日の朝だった。
ゆっくりとそいつは海から帰ってきた。
もういいのさという感じで一回海を振り返って。
七里ガ浜の駐車場に上がってくると、私を見つけて手をあげた。
やあ、うみにはいらないのかって。



かつて私はスケートボードで七里ガ浜駐車場を滑りまわっていた。波乗りは始めたばかりだったと思う
そいつと初めて会ったのは、しばらく前、まだ寒かったときだ。
私は稲村が崎から出てくる江ノ電相手に、駐車場の端から端まで
スラロームで挑戦を挑んでいた。
追い風ならば、結構いい勝負になった。
海側の壁に腰掛けていたそいつは、ふいに声をかけてきた。
「おもしろい?」って。
スラローム用にトラックを極端にゆるめてしているので、普段はしないことだけど、
私は何を思ったのか「乗ってみる?」と聞いた。
そいつはちょっと試してから、「やってみる」と言って 「こうやると受けるんだ」とうしろ宙返りで板に立ったんだ。
あのトラックがゆるい板に。
そして分かったのは、そいつがスケートボードバンクのインストラクターであること、
路面がよさそうということで第三京浜でスケートボードをやっていて高速警備隊につかまった、
などの経歴の持ち主であることだった。
話が一段落してからそいつは、ぽつりと言った。
「俺、子供、海で殺しちまったたんだ」
「3つのとき、女の子でさ、板作ってやったんだ。子供には膝だって大波さ」
「2年前 台風来ただろ。七里でもチューブ巻いたんだぜ。」
「俺、ずっとチューブにいたんだ。で娘は波打ち際さ、連れがみてた。でも戻ってきたときは波にさらわれていて」
「それからは、離婚だろ、酒のんで車運転して逮捕、免許取り消しだろ」
あと、何話しただろう。
「バンクでスケートボード子供に教えるの好きなんだ。」
そうも言ってた。そうか、ほんとに子供好きなんだ。と思ったのを覚えている。



だけど、そいつはやっぱりタフだった。その5月の土曜日のその後は、
「おい、あの娘ひとりか?ふーん そうか、じゃいってみるか」
煙草1本分けてくれない を きっかけに、成果は後日たっぷり聞かされることとなった。



波乗りの話



鵠沼海岸の毎月第四日曜日の午前11時半。ぞろぞろと人が集まってくる。
みんなそれもん風で結構集団となると迫力がある。
そう、地元波乗りたちの海岸清掃の始まりだ。
12月から2月まではお休みだけど、この時期はあまりごみは多くないので清掃活動はもともと必要ない。

鵠沼にはふたつの川が流れ込んでいる。
1本は江ノ島よりの片瀬川、もう片方は引地川、両方とも 大雨のときは大量のごみを海へ運び込んでくる。
もちろん、訪れる人たちの残すごみも海岸汚染の原因となる。
特にタバコの吸殻はたちが悪い。
灰皿代わりにして吸殻を砂の間に押し込んだとしても、フィルターは分解されずに残る。
夏の小型打ち上げ花火のあとも結構醜い。 ペットボトル、空き缶、コンビニの袋にいたっては説明するまでもない。

たとえ月1度とはいえ、この海岸清掃は海をきれいにするだけでなく、地元のサーフショップ間の連帯のためいいことだと思う。

何しろ、鵠沼はいつでも混雑だから、あうんの呼吸で波に乗らないと大変なことになるから。
たとえていえば、このところよく出張で行く台北市内の車の運転のようだ。
彼らは、私たちにはよくわからないなんらかのルールで アクロバットのような運転をする。
鵠沼ではこれと同じようなことが必要とされているような気がする。

タバコの吸殻はなかなか減らないけれど、ごみは全体的に少なくなっていると思う。
鵠沼海岸の水の透明度もここ10年で随分改善されたと思う。
いつかの夏はよくサーフボードのビニール袋がからまったものだけどそんなこともなくなった。

私が鵠沼を好きなのは、左に江ノ島、右に丹沢、富士山をみて、波乗りができることだ。
冬の朝、雪に覆われた富士山の姿、夏の夕暮れの江ノ島の灯台の明かりがともる時間、空一杯に広がる夕焼け、 そんな風景からとても大切なものをもらっていると感じる。

海がきれいだと魚がかえってくる。波がもちあがったとき、魚が水中を横切るのを見るとその波に乗るのも忘れる。
こういうこともすべて 海を愛する人たちの小さな積み重ねの結果だ。

海から上がったとき小さいごみひとつ拾うだけで、必ずみているひとがいるものだ。 すくなくても、ごみを残していってはいけないということは、伝わるよ。 私のずっと覚えている尊敬する人の言葉だ。


Shop Shop : 私がお世話になっているサ−フショップ

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波乗りは人をひきつけます。

サーフボードを使った波乗りだけではなく、ボディボードの含めて一度でも

波に乗った人は素晴らしい体験をしたとおもいます。

この理由については、片岡義男の初期の作品にある程度説明されています。

また、サーフィンの雑誌の世界各国のプロサーファーとのインタビューを読むと、 彼とはまた違った見方が見出せます。

私は、ハワイのサーファーの言葉が好きです。たとえば、マカハのレラ-サンはただ一言、

’波乗りを続けてください 本当の自分になれるから’とインタビューの終わりで言っています。

とても単純ですが、波乗りの本質をついています。そして励みになります。
Rell Sunn : 最初の女性プロサ−ファ−のひとり


私はテイクオフの瞬間が好きです。僅か1秒以内の時間が永遠にも感じられるとき

があります。


私が波乗りを始めたのは、藤沢に越してきてからですから、体力のピークを過ぎていました。

なんとかなったのは、20代にスケートボードとローラースケートで休日を過ごして

いたからかもしれません。

スケートボードではスラロームばっかりやってましたから、今でも動きのよいショートボードに

乗っています。185cm、49,5cm、5.9cmでいつも同じ仕様です。

ベン・アイパと息子デュ−ク :アイパの板には何枚か乗りました。
ところで、サーフボードは侍の刀であるといったのは、日本人の血をひくジェリーロペスだった

と思いますが、優れたショートボードの持つ曲線はいつまで見ていても飽きないものです。

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