「人が歩いてないのよねー」 1998年6月 下田に行ってきた。意識しているわけではないが、梅雨どきになると下田に行くことがここ数年続いている。 小樽と並んで、気になっている街のひとつである。 どちらも地方の小さな街であるが、長い歴史を持つという共通点がある。 それが、街になんとも言えない文化の香りを残している。 下田の町外れに城山という山がある。その山があじさいで蔽われている。 そこで、梅雨どきのこの時期は、「あじさい祭り」である。 あじさいを見た帰りに町中にある小さな喫茶店に寄った。 壁という壁にコーヒーカップが飾られ、テーブルにはコーヒー豆が封じ込めてある。 店内はタバコの煙で燻された雰囲気。最近、こういう喫茶店は、本当に少なくなった。 店内には、客が数人いた。ママというより、おかみさんという雰囲気の女主人と親しげに話している。 「休日は、この通りも歩行者天国にすればいいのにね。」と客。 「駄目、人が歩いてないもの。」と女主人は、少しなまりのある言葉で返す。 このやり取りで思わず、全身、耳となってふたりの会話に吸い寄せられる。 「でも、スーパーには人がいるのよ。商店街は誰も歩いてないのに。どうやってスーパーに来てるんだろうね。」 「旗立てたり、花を飾ったり、無い智恵を絞って工夫はしてるんだけどね。」 ここでも、日本中の商店街が抱える同じ悩みを悩んでいる。 大変だろうな、と思う。 しかし、である。店の中はどこか乱雑である。客の足元に段ボールの箱が散らばり、 電灯の傘には埃が舞い積もっている。 「観光客が来るんだけど、東京からのお客さんで時間がなくてバタバタしてるのね。」、 「この前、来たお客さんなんか、入ってきた瞬間から電車の時間を気にしてるの。 『急いでねって』、『はい、がんばります』ってがんばったんだけど。 そんなだったら来てくれなくていいのに、と思うよ。余裕がないんだよね。」 ここまで聞いて、うーんと唸ってしまう。 日本中が余裕がなくなっている、どのぐらい前からかそうなっている。 ますます、どんどん余裕はなくなっている。ゆっくりコーヒーを楽しむ喫茶店よりも、 簡単に安くコーヒーが飲めるチェーン店を都会人は選んでいる。 悲しいことである。しかし、そんな時間に余裕のない都会人が、余裕がないとは言え、 いや、余裕がないからこそ、ほっとするわずかな時間を楽しみたくて、あじさいを見に下田に来てくれた。 そして、電車に乗る時間を気にしながらも、わざわざ、コーヒーを飲みに来てくれた。 女主人は、そこに気がついていない。余裕がなくとも、わざわざ、来てくれた客にコーヒーを、 わずかなコーヒータイムを楽しんで貰いたいという心がなければ、結果は見えている。 もうしばらくして、この街を訪れたら、こういう小さな昔ながらの喫茶店がなくなっているだろう。 そして、東京に溢れるコーヒーチェーン店が駅前に並んでいるだろう。 当然の成り行きだろうと思う。しかし、文化の香り溢れる小さな街を訪れたときに、 こういう小さな喫茶店を訪れるのは楽しみのひとつである。残念でならない。『がんばれ、商店主!』、 新しい時代の波に乗り遅れないで欲しい。やりようで、いくらでも生き残れるのだから。 日本をスーパーやチェーンストアだらけの街ばかりにしないで欲しい、と願うばかりである。